和観古法鍼灸|茨木ばんば鍼灸治療院|大阪府茨木市の鍼灸院

 

和観古法鍼灸

答えを覚えるだけではなく、
目の前の患者さんから
答えに近づける鍼灸師へ。

鍼灸師・鍼灸学生を対象に、実際の身体を観ながら、
自分で臨床判断を組み立てられる力を育てる臨床教育です。

鍼灸学校では、たくさんのことを学びます。

経穴を覚えます。
経絡を学びます。
陰陽五行を学びます。
病態を学びます。
実技も学びます。

卒業後も、本を読み、セミナーへ行き、新しい治療法を学ぶでしょう。

それらは、すべて大切です。

しかし、いざ患者さんを目の前にすると、

「では、この患者さんには何をすればいいのだろう」

と迷うことがあります。

教科書に書かれた症状と、目の前の患者さんは少し違う。

習った証には当てはまりそうなのに、何か違和感がある。

先生によって言うことが違う。

同じ治療をしても、患者さんによって反応が違う。

昨日うまくいった方法が、今日はうまくいかない。

臨床では、こうしたことが普通に起こります。

だから和観古法鍼灸で目指しているのは、
正解をたくさん覚えた鍼灸師ではありません。

観る
考える
働きかける
確かめる
必要なら考え直す

この循環を、自分自身で回せる鍼灸師を育てたいと考えています。

和観古法鍼灸は、どんな学びなのか


和観古法鍼灸は、鍼灸師・鍼灸学生を対象に、
実際の身体を観ながら臨床判断を一年かけて育てていく、
少人数制の臨床教育です。

単に治療法や経穴を覚えることではなく、
目の前の患者さんを観て、自分で一鍼目を決め、
身体の応答によって次の判断を更新できること。

そこを目標にしています。

和観古法鍼灸を一言でいうと

和観古法鍼灸は、脈・腹・背中・呼吸・動作・言葉など、
今の身体に現れている「象」を観て、
一つの介入ごとに身体の応答を確認しながら
判断を更新していく臨床体系です。

古典を学びます。

陰陽を学びます。

現代医学も大切にします。

AIも使います。

しかし、そのどれか一つを絶対的な答えにはしません。

最初に原因や証を完成させなければ治療できない、
とも考えません。

まず、今ここにいる患者さんの身体を観る。

必要な一手を行う。

そして、その一手に対して身体がどう応えたのかを観る。

身体から始まり、身体へ戻る。

それが、和観古法鍼灸の基本です。

臨床に出たとき、自分で判断できますか?

ツボは覚えたけれど、最初の一鍼をどう決めればいいのか分からない。

脈診を習ったけれど、診た脈をどう治療へつなげればよいのか分からない。

腹診も背候診も習ったが、それぞれの情報をどう扱えばよいのか迷う。

「この症状にはこの経穴」「この証にはこの配穴」という学びだけでは対応できない患者さんがいる。

先生によって診断や治療が違い、何を基準にすればよいのか分からなくなる。

治療後に患者さんが「楽です」と言ってくれたけれど、本当にそこで終わってよいのか分からない。

まだ少し症状が残っているからと治療を続け、本当にそれが必要なのか迷う。

古典を読んでも、実際の臨床とどうつながるのか分からない。

陰陽を学んだけれど、臨床でどう使えばよいのか分からない。

AIを使えば勉強できそうだが、どこまで信頼してよいのか分からない。

そして何より、

将来、先生がいない場所で、
自分一人で患者さんを診られるのだろうか。

和観古法鍼灸は、そうした迷いに対して、
もう一つの「正解」を渡すための学びではありません。

自分自身で臨床を組み立てるための、
基準と考え方を育てていく学びです。

この一年で育てたい、4つの力

01

一鍼目を決める力

患者さんの身体に現れているものを観て、
「まず、どこから始めるか」を自分で考える力です。

02

身体から確かめる力

一つの働きかけの後に身体をもう一度観て、
その反応から次の判断を更新します。

03

どこで終えるかを判断する力

「まだ何かできる」ではなく、
「もう何もしなくてよいのは、いつか」を考えます。

04

自分自身の「観」を育てる力

講師と同じになるのではなく、
自分で観て、判断し、身体の反応によって自分を修正できる力を育てます。

先生がいなくても、患者さんから学び続けられる鍼灸師へ

私が隣にいれば治療できる。

決められた配穴表があれば治療できる。

知っている症状なら対応できる。

それだけでは、これから何十年と続く臨床には十分ではないと思っています。

まだ習っていない病気の患者さんが来ることがあります。

今までと違う反応をする患者さんもいます。

医学も変わります。

社会も変わります。

AIのような新しい技術も入ってきます。

だからこそ、

未知の状況でも、自分で観察し、考え、試し、
確かめ、修正できること。

を大切にします。

私がいなくても、患者さんから学び続けられる鍼灸師になること。

和観古法鍼灸とは

和観古法鍼灸は、古くからその名前で存在してきた流派ではありません。

私が20年以上、実際の患者さんを診ながら、
古典や伝統鍼灸を学び、
鍼灸師を指導してきた中で積み重ねてきた臨床を、
現在の時点で一つの体系として整理したものです。

だから、完成して動かなくなった理論ではありません。

今のところ、こう考える。

患者さんを診る。

身体から違う返事が返れば考え直す。

必要なら、基準そのものも更新する。

そうした臨床の積み重ねの上にあります。

なぜ「和観」なのか

この名前を考えた当初、「和」が表していた中心的な意味は、

身体が自然な調和へ戻っていくこと

でした。

偏りを力ずくで矯正するのではない。

身体自身が本来持っている調整する働きを取り戻していく。

その「和」です。

そして、体系を育てていく中で、
日本で受け継がれてきた鍼灸・古典・臨床文化という
日本の「和」という意味も重なってきました。

そして「観」。

和観古法鍼灸は、まず観ることから始まります。

脈
腹
背
呼吸
動作
声
言葉
患者さん自身の感覚

そして、一手を入れた後に起こる変化。

それらをできるだけ多面的に受け取ります。

観る
一手を入れる
応えを観る
和へ還る

観 → 一手 → 和

古い知恵も、新しい技術も使いながら、
最後は目の前の身体へ還る。

今の臨床の原点には、陰陽術があります

現在の和観古法鍼灸では、
「証を先に完成させなくてもよい」と考えています。

その考えに至った大きなきっかけの一つが、

陰陽術
おんみょうじゅつ

でした。

陰陽術(おんみょうじゅつ)

陰陽の原理を、身体への具体的な働きかけへ移す


陰陽術とは、陰陽の原理を、
身体への具体的な働きかけへ移すための実技です。

陰陽術で最初に確認することは、複雑ではありません。

どこが動きにくいのか。
どこが痛いのか。

まず、その状態を確認します。

しかし、その原因を細かく分析してから施術するわけではありません。

「この筋肉が悪いから」
「この関節が原因だから」
「この経絡だから」
「この証だから」

と、原因を完成させる必要はありません。

言霊と陰陽の術理に従って、身体へ触れる。

そして、もう一度、動きや痛みを確認します。

すると、その場で身体が変化することがあります。

先ほどまで動きにくかったものが動く。

痛みが軽くなる。

ときには、先ほどまで感じていた症状が
その場で感じられなくなることもあります。

原因を知らなくても、身体は変わる

この経験は、私の臨床観を大きく変えました。

一般的な考え方

症状がある

↓

原因を探す

↓

原因を特定する

↓

原因へ治療する

↓

症状が改善する

陰陽術

症状を確認する

↓

陰陽の術理に従って働きかける

↓

身体が変化する

↓

もう一度症状を確認する

症状を変えるために、
必ずしも原因を確定する必要はないのではないか。

陰陽術は、私にそれを身体で教えてくれました。

ならば、鍼灸でも証を先に完成させる必要はないのではないか

この経験は、そのまま鍼灸へつながりました。

東洋医学では、患者さんの状態を一定の枠組みで捉える
「証」という考え方があります。

証は有用です。

私も証を否定しているわけではありません。

しかし、治療を始める前に、
必ず証を完成させる必要があるのだろうか。

陰陽術では原因を決めなくても身体が変わった。

ならば鍼灸でも、

まず身体を観る。

今、何が現れているのかを観る。

一鍼する。

その後、身体がどう応えたのかを見る。

そこから次を考えてもよいのではないか。

この気づきが、
無証
という現在の臨床姿勢へつながっていきました。

原因を追う臨床から、応答を観る臨床へ

原因を一切考えない、ということではありません。

医学的な原因を確認する必要がある場合もあります。

危険な病態を見落としてはいけません。

病歴や検査結果が重要なこともあります。

しかし、

鍼灸治療を成立させるために、
術者が症状の真の原因を必ず特定しなければならない

とは考えていません。

今、身体に何が現れているのか。

一手に対して、身体がどう変化するのか。

そこを観る。

原因を先に決める臨床から、応答によって進む臨床へ。

無証とは、何も考えないことではありません

「無証」と聞くと、
証を否定する、理論を捨てる、
何も考えずに鍼をする、
そのように見えるかもしれません。

しかし、そうではありません。

考えます。

仮説も立てます。

古典も使います。

経験も使います。

現代医学も使います。

必要ならAIも使います。

ただし、治療する前に、答えを固定しない。

一度立てた仮説を身体より上に置かない。

無証とは、何も考えないことではなく、
答えを固定しないための姿勢です。

「証」より先に、「象」を観る

証を先に決めないのであれば、何を観るのでしょうか。

和観古法鍼灸では、
象
を観ます。

ここでいう象とは、病名や証へ整理する前に、
今の身体に具体的に現れている徴候や変化です。

脈
腹
背
呼吸
姿勢
動作
表情
声
言葉
皮膚
冷え・熱
患者さん自身の感覚

今、この身体に何が現れているのか。

まず、そこを観ます。

そして一手を入れる。

その後に現れる象の変化を、また観る。

陰陽は、分類表ではなく「関係と変化」を観る原理

東洋医学を学ぶと、

陰と陽。
寒と熱。
虚と実。
表と裏。

さまざまな対を学びます。

もちろん、そうした分類も大切です。

しかし和観古法鍼灸では、
陰陽を単なる分類表としてだけ扱いません。

物事を一方だけで完結したものとしてではなく、
対となるものとの関係と変化の中で捉える。

何と何の関係の中で、今その現象が起きているのか。

そして、その関係がどのように変化しているのか。

そこを観ます。

患者 / 術者
局所 / 全身
症状 / 身体全体
古典 / 現代医学
人 / AI

物事を固定せず、関係と変化の中で観る。

陰陽を「知る」から「使う」へ

陰陽について説明できることと、
陰陽を臨床で使えることは同じではありません。

陰陽術は、その間をつなぎます。

陰陽=臨床を観る原理。


陰陽術=その原理を、
身体への具体的な働きかけへ移す実技。

身体へ働きかける。

そして、働きかける前と後を比べる。

動きはどう変わったのか。

痛みはどう変わったのか。

陰陽という原理と、身体の応答をつなぐ入口。

一鍼一診

一手を入れ、身体の「応え」によって次を決める

陰陽術で経験した、

働きかける
身体が変わる
変化を確認する

という構造は、そのまま鍼灸へつながりました。

観る
考える
一手を行う
身体の応答を観る
判断を更新する

一本の鍼をしたら、もう一度診ます。

脈はどう変わったのか。

腹はどう変わったのか。

呼吸はどうなったのか。

動きはどうなったのか。

患者さんはどう感じているのか。

一鍼目は、術者の最終回答ではありません。
身体へ投げかける、一つの問いでもあります。

身体から返ってくる「応え」を観て、次を決める。

身体が先生

これは、「理論はいらない」という意味ではありません。

古典を学びます。

陰陽を学びます。

脈を学びます。

証も学びます。

他の流派も参考にします。

現代医学も必要です。

AIも使います。

経験も使います。

ただし、そのどれか一つを、
目の前の患者さんより上に置かない。

自分では正しいと思った治療でも、
一手の後に身体が違う返事をしたのであれば、
自分の読み方が違っていた可能性を考えます。

そして、ここでいう「身体」は患者さんの身体だけではありません。

術者自身の身体感覚も、一つの仮説として扱います。

ただし、
「自分が感じたから正しい」
とはしません。

患者さんの身体へ問いを返し、
一手の応答によって確かめます。

必要鍼

少ない鍼を競うための考え方ではありません

必要なところに。
必要な刺激を。
必要なだけ。

「一本だけで治す方がすごい」という思想ではありません。

必要なら複数の鍼をします。

必要なら別の診察もします。

必要なら説明もします。

必要なら医療機関への受診を勧めます。

もし百本必要なら、百本が必要鍼です。

必要なものを残し、不要なものを加えない。

局所を診ても、局所だけに閉じこもらない

三手帰全

局所症状を軽くすることは大切です。

必要なら、局所にも直接働きかけます。

しかし局所だけを追い続けると、
治療が局所に閉じてしまうことがあります。

そこで、

局所への施術はいったん三手で区切る。

ことを基準としています。

三本の鍼。

三回の刺激。

三つの局所的な働きかけ。

三手で必ず治し切る、という意味ではありません。

三手を行ったら、一度そこから視線を外します。

脈はどうなったのか。

呼吸はどうなったのか。

動作はどう変わったのか。

身体全体のまとまりはどうか。

胃の気はどうか。

帰全とは、局所を捨てることではなく、
局所に起きた変化を全身の判断へ戻すこと。

胃の気と中和域

和観古法鍼灸では、
治療判断の中心に「胃の気」を置いています。

ここでいう胃の気は、
単に胃腸の状態だけを意味しているのではありません。

主に脈を通して、

身体全体が刺激に応答し、
自ら中和へ戻ろうとする働きが現れているか。

を観る臨床上の指標として扱います。

人は疲れます。

眠れない日もあります。

ストレスも受けます。

身体は常に揺れています。

揺れない身体ではなく、
揺れても戻れる身体。

その人自身が戻ることのできる範囲を、
中和域
として考えています。

鍼をする技術と、鍼をやめる技術

治療家は、何かをすることを学びます。

どこに打つか。

どのように打つか。

どのくらい刺激するか。

しかし、

いつ、やめるのか。

これも同じくらい重要です。

身体がすでに自ら整う方向へ動き始めているのであれば、
さらに刺激を加える必要がないこともあります。

鍼をする技術だけではなく、鍼をやめる技術。

治療終了は、脈だけでは決めません

胃の気が整った。

脈が変わった。

それだけで「終わりです」とはしません。

主訴はどう変わったのか。

動作や呼吸はどう変わったのか。

患者さん自身はどう感じているのか。

不安や物足りなさは残っていないか。

患者さんと術者の双方が納得できているか。

身体の変化。
術者の判断。
患者さんの実感。

そのどれか一つだけではなく、
可能な限り照らし合わせながら治療終了を考えます。

「古法」とは、古典の文字を、生きた身体で確かめ直すこと

私たちは古典を大切にしています。

しかし、古典に書かれているものは、あくまで文字です。

どれほど優れた言葉であっても、
本の中に置かれているだけでは動きません。

ある意味では、それは死物です。

先人が観た身体。

先人が触れた脈。

先人が経験した変化。

その時代の臨床の中で生きていたものが文字となり、
長い時間を越えて私たちのところまで届いています。

しかし、その文字そのものが患者さんを治療するわけではありません。

だからこそ、その文字をもう一度、

今ここにいる、生きた人間の身体へ戻す。

実際に観る。

触れる。

一手を行う。

そして、本当に身体がそう応じるのかを確かめる。

文字として残された古典を、
生きた人体で確かめることで、
死物を活物へ戻す。

私は、古典臨床をそのように考えています。

善言古者,必驗於今。

古をよく語る者は、必ずそれを今において験す。

古に書かれているから正しいのではない。

古に書かれたことが、
今ここでも成立するのかを確かめよ。

さらに『素問』には、

善言古者,必有合於今。

視而可見,捫而可得,令驗於己

目で見る。
手で触れる。
そして、自らにおいて験す。

古典をただ信じるのではなく、

見て、触れて、身体によって確かめる。

古典に「こう書いてある」で終わらない。

実際の身体ではどうなのか。

一鍼した後、本当にその変化が現れるのか。

患者さん自身はどう感じるのか。

そこまで戻して初めて、
古典は臨床の言葉になります。

古典を正しいと証明するために患者さんを診るのではありません。

患者さんを観るために、古典を使います。

身体が古典と違う返事をしたなら、
もう一度古典へ戻ります。

先人の文字を受け取る。

今の身体へ戻す。

身体によって験す。

その結果を持って、もう一度古典を読む。

先人が残した文字の奥にある「観」を受け取り、
生きた身体によって、もう一度確かめ直す。

それが、和観古法鍼灸における「古法」です。

セミナーでは、実際に何をするのか

和観古法鍼灸は、座学だけを聞くセミナーではありません。

理論を学び、実際に身体を観て、触れて、一手を行い、
その後の変化を確かめます。

なぜそう考えたのか

身体はどう応えたのか

次に何をするのか

どこで終えるのか

までを、実際の身体を通して考えていきます。

まず、陰陽を身体で経験する

最初の段階では、陰陽について学びます。

そして陰陽術を通して、
陰陽の原理を実際の身体への働きかけへ移します。

動きにくさや痛みを確認する。

言霊と陰陽の術理に従って身体へ触れる。

そして、もう一度確認する。

何が変わったのか。

何が変わらなかったのか。

まずここで、
理屈だけではなく、身体が実際に変化すること
を経験します。

そこから、臨床全体へ進む

脈を取る
腹を診る
背中を観る
呼吸を観る
動作を観る
患者さんの言葉を聞く
象を観る
一鍼目を考える
一手を行う
身体を診直す
必要なら判断を変える
治療終了を判断する

局所へ施術した場合には、
三手でいったん区切り、全身へ戻ります。

胃の気を観ます。

刺激量を考えます。

まだ続ける必要があるのか。
それとも、もう身体に任せるのか。

治療の終わりまで考えます。

自分の「考え方」まで振り返る

セミナーでは、講師の治療を見るだけではありません。

受講生自身が身体を観ます。

自分で考えます。

実際に触れます。

一手を行います。

その前後を比較します。

そして、

なぜその一手を選んだのか。
何を観て、どう判断したのか。

を言葉にします。

他の受講生の見方も聞きます。

同じ身体を観ても、人によって見えているものが違うことがあります。

その違いを比べながら、
身体の応答から何を学べるのかを考えます。

症例も学びの材料にする

うまくいった症例だけではありません。

迷った症例

思った反応が出なかった症例

途中で判断を変えた症例

どこでやめればよかったのか迷った症例

そうした症例も学びの材料にします。

必要に応じてAIも使います。

情報を整理する。

別の仮説を出す。

自分の考えへの反論を出す。

見落としがなかったか確認する。

AIも使って、自分の臨床を考え直す。

このセミナーで繰り返すこと

陰陽を学ぶ。

陰陽術で身体の変化を経験する。

脈・腹・背・動作・呼吸などから象を観る。

一鍼目を考える。

一手を行う。

身体の応答を確かめる。

必要なら判断を変える。

局所から全身へ戻る。

胃の気を観る。

刺激量を考える。

どこで終えるかを判断する。

症例を振り返る。

自分の思考そのものを振り返る。

「先生ならどうするか」を覚えるのではなく、
自分自身で臨床を組み立てられる力を育てる。

なぜ、少人数なのか

知識だけを伝えるのであれば、大人数でもできます。

しかし、

何を観たのか。

陰陽術で何が変わったのか。

脈の何を感じたのか。

なぜその一鍼を選んだのか。

一本後に何が変わったのか。

なぜ、その変化をそう解釈したのか。

ここまで一人ひとりを見るには、
人数を増やしすぎることはできません。

少人数であることは、希少性を作るためではありません。
教育の方法として必要だからです。

「分からない」から始めて構いません

脈を取っても分からない。

腹を触っても分からない。

陰陽術をしても、最初はなぜ変わるのか分からない。

古典も難しい。

それで構いません。

「分からない」ことは問題ではありません。

むしろ、分からないものを分かったふりする方が危険です。

ただし、
「分からないから、答えをください」
で終わることは勧めません。

分からない
観る
試す
比べる
考える

そして、身体から教えてもらう。

同じものを見る必要はない。しかし、同じ頂を目指す

異観同頂という教育

私は、受講生全員が私とまったく同じ脈を感じることを、
最終目標にはしていません。

陰陽術でも同じです。

講師とまったく同じ感覚を持つ必要はありません。

だからといって、
「人それぞれだから何でもよい」
とも考えていません。

基本は必要です。

型も必要です。

安全基準も必要です。

理論も学びます。

治療前後の確認も行います。

異なる観から、同じ頂へ。

最初から自由にするのではありません。
しかし、最後まで講師のコピーにもしません。

AIも、臨床を考えるために使います

AIは、これからの鍼灸師にとって無関係なものではありません。

和観古法鍼灸では、AIも積極的に使います。

ただし、

AIに治療を決めてもらうためではありません。

治療前

情報整理

時系列整理

問診漏れ

危険な兆候の確認

学習

古典を調べる

現代医学と比較する

別の流派を知る

治療後

別仮説

反論

見落とし確認

症例振り返り

私はAIを使って、
自分が正しかったことを証明したいのではありません。

自分が間違っている可能性を探すためにもAIを使います。

AIに考えてもらうのではなく、AIも使って自分が考える。

古いものか、新しいものか、では考えません

古典を学ぶ。

陰陽を使う。

現代医学も使う。

AIも使う。

これらは矛盾しないと考えています。

昔だから正しい。

新しいから正しい。

科学だからすべて正しい。

伝統だからすべて正しい。

そういう二択にはしません。

今、患者さんにとって何が必要なのか。

必要であれば、適切な医療へつなぐ。

それも臨床家の役割です。

どんな人から学ぶのか

教える人である前に、今も学び続けている臨床家です

私は、鍼灸師として20年以上、患者さんを診てきました。

現在も大阪府茨木市で治療院を営み、
日々患者さんを診ています。

鍼灸師への指導も続けています。

それでも、

「もう分かった」とは思っていません。

臨床では、今でも迷うことがあります。

思った反応が出ないこともあります。

自分の見立てが違っていたと気づくこともあります。

そういうとき、
自分の理論を守るより、
自分の考えを変える方を選びたいと思っています。

元テニスコーチだった経験が、今の教育につながっています

鍼灸師になる以前、私はテニスコーチをしていました。

スポーツを教えていると、
全員を同じフォームにすれば
全員がうまくなるわけではないことが分かります。

基本はあります。

目的もあります。

技術にも原則があります。

しかし、人によって身体は違います。

共通する基準は伝える。
しかし、講師のコピーにはしない。

現在の異観同頂という教育の考え方には、
こうした経験もつながっています。

自分が患者になって、改めて見えたこと

2025年、私は指定難病である再生不良性貧血を発症しました。

免疫抑制療法を受けるために約3か月入院し、
それまで長く治療する側だった私が、
患者として医療を受ける側になりました。

入院中は、血液検査の数値が繰り返し確認されます。

もちろん、その数値は非常に重要です。

一方で実際に患者になってみると、

検査の数値と、自分自身が感じている身体の状態や不安が、
必ずしも同じようには動かない。

ということを身をもって経験しました。

だから現在は、以前にも増して、

「今、患者さん自身はどう感じていますか」

という確認を大切にしています。

和観古法鍼灸で学ぶこと

陰陽

関係、変化、偏り、中和を観る根本的な臨床原理。

陰陽術

陰陽の原理を、身体への具体的な働きかけへ移す実技。

古典

文字をそのまま正解とせず、先人の観を学び、生きた人体によって今に験す。

脈診

治療前後の変化と胃の気を観る中心的な診察。

腹診・背候診

同じ身体を別の角度から観る。

象観

病名や証へ整理する前に、今の身体に何が現れているかを観る。

無証

証を身体より上に置かず、答えを固定せずに臨床を進める。

一鍼一診

一つの働きかけごとに身体を診直し、判断を更新する。

必要鍼

必要なところに、必要な刺激を、必要なだけ。

三手帰全

局所を三手でいったん区切り、全身へ戻る。

胃の気・中和域

身体が自ら整い直す方向へ動いているかを観る。

刺激量

どこに打つかだけでなく、どの程度の刺激が必要かを考える。

治療終了

「まだ何かできる」ではなく、「もう十分か」を判断する。

安全管理

鍼灸で抱え込まず、必要な医療へつなぐ。

AI活用

情報整理、学習、仮説検討、反証、症例振り返りに使う。

鍼灸学生の方へ

学生のうちから、臨床について考えるのは早すぎるでしょうか。

私は、そうは思いません。

学校で学ぶ知識も、国家試験の勉強も大切です。

しかし、

知識を持っていることと、
その知識を目の前の患者さんへどう使うかは、
少し違う能力です。

答えを知らない時期だからこそ、
身体から学ぶ習慣を作る。

学びの入口

いきなり一年間の講座へ入る必要はありません。

01

このサイトの記事を読む

02

一日セミナーや体験講座で実際の学び方に触れる

03

年間講座「古流臨床鍼灸師育成塾」で継続して学ぶ

一年を通して、
身体を観ること、陰陽を身体で使うこと、
判断すること、一鍼すること、変化を観ること、
振り返ることまでを段階的に積み重ねます。

修了後には、必要に応じて稽古場や卒業生フォローもあります。

最終目的は長く囲い込むことではありません。
自分自身で臨床を続けられるようになること。

一年間の流れ

前半

身体から学ぶ土台を作る

陰陽

陰陽術

脈

腹

背

象

基本的な治療の型

中盤

一手と応答をつなぐ

無証

一鍼一診

必要鍼

三手帰全

胃の気

刺激量

後半

自分で臨床を組み立てる

治療終了の判断

症例検討

臨床判断の言語化

AIによる振り返り

自分自身の観を育てる

「先生ならどうするか」から、
「自分は、この患者さんをどう観るのか」へ。

こんな方と、一緒に学びたいと思っています

自分で考えられる臨床家になりたい方

患者さんの身体の反応をもっと丁寧に観たい方

学んだ知識を実際の臨床につなげたい方

陰陽を身体で使えるものとして学びたい方

証に患者さんを当てはめるのではなく、目の前の身体から考えたい方

古典を生きた患者さんを観る眼として学びたい方

講師のコピーではなく、自分自身の臨床を育てたい方

一つの流派や理論だけを絶対化したくない方

AIも使いながら、自分で判断する力は手放したくない方

うまくいかなかった症例からも学びたい方

そして、患者さんを、
自分の理論を証明するための存在にしたくない方。

こういう学びを求めている方とは、少し違うかもしれません

「この症状にはこのツボ」という答えだけを短時間で集めたい。

講師とまったく同じ治療をコピーしたい。

最初に証を決めたら、その証を最後まで守りたい。

古典に書かれていることを、そのまま現在の患者さんへ当てはめたい。

身体の変化よりも、決められた手順を優先したい。

自分の判断を振り返ることはしたくない。

私たちは、自分で観て、自分で考え、
身体の応答によって自分を修正することを大切にします。

この学びの場で、私が約束したいこと

見えないものを、見えたと言わせません。

分からないことを、恥だとは考えません。

講師と同じ感覚を持つことを強制しません。

陰陽術でも、結果を決めつけません。

働きかける前と後を確認します。

古典も、書いてあるから正しいとはしません。

今の身体で験します。

基本や型、安全を軽く扱いません。

自分の理論を患者さんより上に置きません。

必要なら、適切な医療へつなぎます。

AIも含め、患者さんのために役立つものは学びます。

最終判断と責任まで、道具には渡しません。

いつまでも私を必要とする治療家を作ることを、
教育の成功だとは考えません。

完成した答えだけではなく、考えている過程も公開します

このサイトは、セミナー募集だけのサイトにはしたくありません。

臨床
古典
陰陽
陰陽術
教育
AI
鍼灸の未来

自分の以前の考えが違っていたこと。

まだ答えが出ていないこと。

そうしたものも、できる限り公開していきます。

完成した答えだけを見るより、
どう問い、どう考え、どう修正しているのかを見ることにも
学ぶ価値があると思うからです。

和観古法鍼灸は、
完成した体系を一方的に教えるためだけのものではありません。

今も考え、試し、身体から学びながら更新されている臨床です。

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最新記事:6〜9件

私について来てほしいわけではありません

私が20年以上の臨床で学んできたものがあります。

失敗して分かったことがあります。

長く使い続けている技術があります。

陰陽術から気づいたことがあります。

古典から学んだことがあります。

患者さんから教えてもらったことがあります。

それらは、伝えられる限り伝えます。

しかし、

最終的に私と同じ治療家を作りたいわけではありません。

私と同じ脈を感じる必要もありません。

私と同じ陰陽の感覚を持つ必要もありません。

私と同じ経穴を選び続ける必要もありません。

古典を、私と同じように解釈し続ける必要もありません。

学んだ先で、

目の前の患者さんを観る。

原因を無理に決めつけない。

今そこに現れているものを観る。

一手を選ぶ。

身体の応答を確かめる。

間違っていたら考え直す。

古典に書かれたことも、今の身体で験す。

局所へ入ったら、また全体へ戻る。

必要なことを行う。

必要でなくなれば手を離す。

そういう臨床家になってほしいと思っています。

最後に見るべきなのは、

講師ではありません。

流派でもありません。

証でもありません。

古典でもありません。

AIでもありません。

患者さんです。

流派を守ることより、患者さんの安全を見る。

理論を守ることより、身体の応答を見る。

古典を守ることより、今の身体で験す。

原因を説明できることより、
今の身体に何が必要なのかを見る。

治療家の理想より、患者さん本人の希望を聞く。

局所に入り込んだら、全身へ戻る。

一方へ偏ったら、関係と変化をもう一度観る。

必要であれば、鍼灸から現代医学へつなぐ。

必要でなくなれば、治療家からも離れてもらう。

古典を学ぶ
陰陽を学ぶ
陰陽術で身体へ移す
鍼を学ぶ
AIも使う
講師から学ぶ

しかし、そのすべてを使ったあと、

最後は患者さんに還る。

すべては、患者さんに還るためにあります。

それが、和観古法鍼灸です。

まずは、和観古法鍼灸に触れてみてください

いきなり一年間の講座へ申し込む必要はありません。

まずは、この考え方に触れてみてください。

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臨床、陰陽、古典、教育、AIなどについて、
日々考えていることを公開しています。


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和観古法鍼灸の考え方や、
実際に身体を使って学ぶ方法に触れていただけます。


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一年を通して、
臨床判断を段階的に育てていく年間講座です。


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よくあるご質問

鍼灸学生でも参加できますか?

はい。鍼灸師だけでなく、鍼灸学生も対象としています。
臨床経験が豊富である必要はありません。

脈診をほとんど経験したことがなくても大丈夫ですか?

大丈夫です。
最初から講師と同じ脈が分かる必要はありません。
「分からないのに、分かったふりをしない」ことを大切にしています。

陰陽術を経験したことがなくても大丈夫ですか?

大丈夫です。
まず確認するのは、動きにくさや痛みです。
言霊と陰陽の術理に従って身体へ働きかけ、
前後の変化を確認します。

陰陽術では、痛みの原因を診断するのですか?

症状の原因を細かく特定してから働きかけることを前提としていません。
動きにくさや痛みを確認し、陰陽の術理に従って働きかけ、
その後の身体の変化を確認します。

証を使わないのですか?

証そのものを否定しているわけではありません。
証は有用な仮説になり得ます。
ただし、治療前に絶対的な答えとして固定しません。

古典はどのように学ぶのですか?

古典に書かれた内容を、そのまま正解として覚えることを目的にはしていません。
先人が何を観ていたのかを読み取り、
その内容が今の身体でも確かめられるのかを観ます。

善言古者,必驗於今。

古を語るなら、今に験す。
その姿勢を大切にしています。

東洋医学や古典に詳しくなくても参加できますか?

はい。
古典や陰陽を、知識量を競うために学ぶのではありません。
目の前の身体をより深く観るために使います。

すでに別の流派や治療法を学んでいても参加できますか?

はい。
今まで学んできた治療法を捨てる必要はありません。
どの治療法を使う場合でも、
患者さんの身体がどう応じているのかを確認することを大切にします。

AIを使ったことがほとんどなくても大丈夫ですか?

大丈夫です。
AIを使いこなしていることを参加条件にはしていません。
重要なのは、AIへ何を任せ、
何を自分で判断するのかを学ぶことです。

AIが治療法や経穴を決めるのですか?

いいえ。
AIは情報整理、学習、安全確認、別仮説、反証、
症例振り返りなどに使います。
最終的な臨床判断と責任は、人が担います。

「一鍼一診」は一本の鍼だけで治療するという意味ですか?

違います。
必要なら複数の鍼を行います。
大切なのは本数ではなく、
一つの働きかけの後に身体をもう一度確認することです。

「三手帰全」は三本までしか鍼をしないという意味ですか?

違います。
三本の鍼、三回の刺激、三つの局所的な働きかけなどを
「三手」の区切りとして、一度全身へ戻ります。
必要なら、その後再び局所へ戻ります。

胃の気とは、胃腸の調子を見ることですか?

それだけではありません。
主に脈を通して、
身体全体が刺激へ応答し、自ら中和へ戻ろうとする働きが
現れているかを観る臨床上の指標として扱っています。

一年間学べば、完全に身につきますか?

一年ですべてが完成するとは考えていません。
自立して臨床を続けるための基礎を作ることを目指します。

修了後も学べますか?

はい。
必要に応じて稽古場や卒業生フォローがあります。
ただし、長く在籍してもらうこと自体を目的にはしていません。

孤立せず、依存もしない。

その状態を目指しています。

まず何を見ればよいですか?

まず、このページを読んでください。
そのうえで、記事を読む、一日セミナーや体験講座を見る、
年間講座の内容を確認する、という順番で構いません。

まだ迷っている方へ

このページを読んで、
「少し気になる」くらいでも構いません。

まずは記事を読んでみてください。

それでも興味が残れば、
一日セミナーや体験講座があります。

そのうえで、
もっと継続して学びたいと思った方のために、
一年間の講座があります。

最初から答えを決める必要はありません。

まず観る。
一度触れてみる。
その応答から、次を決める。

和観古法鍼灸についても、
そのくらいから始めてもらえればよいと思っています。

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茨木ばんば鍼灸治療院

〒567-0897 大阪府茨木市主原町6-32
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